「気」「氣」とは
「気」という言葉を使ったもの
気になる、気にする、気が合う、気に入る、気が多い、
気をつける、気が揉める、気が滅入る、気が重い、気が進まない、
気が長い、気が短い、気が遠くなる、気が抜ける、気が知れない、等々。
「気」を使った熟語
色気(いろけ)、嫌気(いやけ)、内気(うちき)、寒気(さむけ)、強気(つよき)、
悪気(わるぎ)、気合(きあい)、弱気(よわき)、気短(きみじか)、本気(ほんき)、
気楽(きらく)、無邪気(むじゃき)、気品(きひん)、気分(きぶん)、気迫(きはく)、等々。
この地球上や宇宙の全ての物質は、エネルギーで出来ている。
全ての生き物が発するエネルギーを生命エネルギーという。
その中でも、人間の体内外にあるエネルギーを人体エネルギーという。
多くの人が、これらのエネルギーを感じることが出来るし、人は既にそれを感じているのだが、意識していなくて気がつかなかったり、無視したり、何か他のものだと考えている場合もある。
例えば、誰かが自分を見つめている時には、そちらを見なくても分かる、これは相手の人体エネルギーを感じ取っているからだ。
あるいは、紹介されたばかりの知らない人を即座に好きになり、この人とは仲良くやれると確信を持つ。
また他人からの好意を感じ取れる。
あるいは、何か良いことがあるような気がすると、そのうちにそれが実際に起こる。
また、ふと思い出した人から急に電話がかかってきたり、ばったり道で出会ったりすることもよくある話である。
これらは自分の第六感を通して感じ捉えているのである。
「気」や「氣」とは、全ての物質から発せられる「エネルギー」のことであり、物質そのものを表す場合や、物質の変化や力(生命力や活力など)を表す場合がある。
また生命エネルギーに関しては、「気持ち」や「心」という意味で使う場合もある。
「不可視で、流動的で運動したり作用を起こすもの」とされている。
しかし、宇宙生成論や存在論によると、「気は凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素である」との定義が論じられた。
元々、霊的能力の高い人は、肉眼で実際に氣を見ることが出来る人もいる。また、霊的能力の高くない人であっても、ある程度、訓練をすれば、肉眼で実際に氣を見ることができるようになる。
また、「氣」というのは、中国では繁体字であり、日本では「気」の旧字体である。
「氣」とは、東洋の伝統的な医学や哲学においては、「生命エネルギー」や「生命力」のことを指している。これは、私たち人間や生物の体内外を巡り、健康と調和をもたらす重要なものである。
インドでは、紀元前5000年、「あらゆる生命の基本的源である」と提唱され、
中国では、紀元前3000年に、「あらゆるものの内に存在するものである」、
ヨーロッパでは、紀元後1200年代に、「生命力、癒しをもたらす、霊的な業をなすもの」と提唱された。
しかし、それよりも遥か昔、紀元前数百万年前の人類が誕生した頃より、「氣」や「気功」というものが発見され、利用されていたのではないかと、当センターでは推測している。